It is our pleasure to introduce some former VJLS students to you — more profiles will be coming soon so please come back to visit.
And if you are one of those former students, we would love to hear from you, no matter where you are, how long you were at the school, or what you are doing now.
チャング ケリ
カナダ生まれの日本人ハーフとしてよく聞かれる質問があります。「日本語はどのくらい分かるの?」私はこの質問にいつも悩まされました。なぜなら、言語の学びには始まりがあっても終わりがないと思ったからです。私は3歳からバンクーバー日本語学校に通っていました。お姫様ごっこから振袖姿まで、数え切れないほどの体験をさせてもらいました。
その中で、私のターニングポイントとなったのが生徒会長の活動でした。生徒会の活動の一環として、毎週土曜日に日本のお菓子などの販売を行いました。難しいことでないように思えますが、受け答えや会計と同時に生徒会長としてチームを引っ張るなど教室では学べない「日本語」でのやりとりは私を大きく成長させてくれました。私にとって日本語学校は教科書や漢字テストのイメージだけではありません。日本語を使ってたくさん間違えたり、自分なりに伝えたいことを表現してみたりした体験のほうが鮮明に覚えています。
第二か国語を学ぶ道のりは決して簡単なことではありませんでしたが、やめるのもそう簡単にはできませんでした。自分のルーツを知れば知るほど頑張ってきた甲斐を感じたからです。今後、卒業生としてVJLS-JH/日系カナダコミュニティのイベントやボランティア活動を通じて繋がっていたいと思っています。もし、機会があれば在校生との交流などもできたらと思っています。今再びあの質問を聞かれたら私はこう答えるでしょう。バンクーバー日本語学校は私に読み書き以上のことを教えてくれました。自分の思考や感情を日本語で表現する機会を与え、その力を発揮できるようにしてくれました。
宇都桂太朗
母方が日系のハーフである26歳の私は、ノバスコシアで法科大学院を終え、最近バンクーバーに戻ってきました。母がバンクーバー日本語学校の幼児クラスに申し込んで、小学生から高校まで、毎週日本語の授業を受けていました。
正直なところ、私はいい生徒とはいえず、ひらがな、カタカナを覚えるのに時間がかかったのと、覚えている漢字は20字ぐらいだからです。それは、日本語学校や先生のせいではなく、ただ私がいい生徒ではなかったという事だけです。
幼児クラスでは、毎回出席を取っていました。先生が園児の名前を呼んだら、「はい」と答えます。英語の“Hi”ではなく、日本語の「はい」だという事に気が付きませんでした。ある日のこと、“Hi”と同じ意味だと思い、代わりに“Hello”と答えた時、クラスメートが笑ったことで、間違って覚えていたことに気付きました。
日本語を学ぶのは大変でしたが、学校には楽しく通っていました。4、5年続けて、同じクラスメートと学びました。ある年の学習発表会で、J-popグループSMAPの「世界に一つだけの花」に合わせて、声を出さずにみんなの前で踊りました。顔から火が出るぐらい恥ずかしかったですが、クラスメートと深く繋がり合えたと感じた経験でした。
日本語学校では、よくボランティアをしていました。土曜日には、他の生徒達とポッキー、ハイチュウ、コロンなどファンドレイジングのために売っていました。秋のバザーでは、うどんやたこ焼きの手伝い、パウエル祭では、夏の暑さを凌ぐために長蛇の列を作るかき氷の担当になりました。ボランティアを通して、日系コミュニティと繋がる特別な経験をしました。
日本語学校で育んできた友情を今でも大切にしています。また、日系コミュニティに関わることで、カナダの日本人の歴史に深く、心から感謝の気持ちを持つようになりました。法科大学院で書いた最後の論文は、当時、日系カナダ人には選挙権が認められていなかったことから、法的な闘争を始め、ようやく参政権を得るところまで漕ぎ着けた本間留吉について書きました。この論文を書くうちに、当時試練に直面していた日系カナダコミュニティを理解し、繋がりを深く感じました。そして、バンクーバー日本語学校のような存在がとても重要な役割を果たしていることに気付かされました。これから先もこの日系コミュニティの一員でいたいと願っています。
Tuesday – Saturday: 9am – 3pm
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