バンクーバー日本語学校は1906年に設立され、パウエル街の中心、439 Alexander Streetに新築木造建築によって建てられました。 1880年代初期、パウエルストリートエリアに日本人開拓者らが定住し働きはじめました。 このエリアの日本人家庭が増えると、その子どもたちへの日本語とその他一般科目を教育できる学校も必要とされるようになりました。 1905年には、日本語と数学や歴史、科学などといった一般科目を教える学校の設立のため、日本人コミュニティのメンバーで構成される運営員会Mr.K.Morikawaが、当時の日本領事館指導のもと結成されました。
1905 | 小村外相が帰国の途上、バンクーバーに立ち寄り、森川領事に日本国民教育を目的とした学校の設立を奨励し、150ドルを寄付。 日本語学校設立委員会発足。創立委員長森川季四郎領事、委員佐々木千重、後藤左織、村上幾之進、金村和市 |
1906 | 1月12日、仮校舎にて「晩香坡共立日本國民學校」が開校。日本の教育法の基づいた教科と英語の授業。 7月にアレキサンダー街439番地に木造新校舎が落成、移転。 |
1909 | 学校の裏側にレンガ造りの校舎落成。 生徒数74名。 |
1912 | 共立日本國民學校維持会が正式に発足。 |
1916 | 学友会発足。 |
子どもたちが英語と日本語両方の教育を受けられることを望む移民の声を受け、1919年、一般科目の教育を打ち切り日本語教育のみに集中するため、学校の方針が変えられることとなりました。 子どもたちは、カナダ公立学校にて英語で一般科目の教育を受け、放課後に日本語学校へ通うようになりました。 パウエル街に更なる移民が定住し始めると、VJLSはコミュニティー交流の場、組織としてきわめて重要な役割を果たすようになります。 1928年には、学校人口や日系カナダ人コミュニティーの高まるニーズに対応しようと、新しい建物が建設されました。 コミュニティーと文化組織としてのその重要な役割を認識するため、日系人会館並びにバンクーバー日本語学校へと改名されました。
1919 | 校則を改め、「晩香坡日本共立語學校」と改名し、日本語教育を主な目的とする。 |
1923 | 母子会発足。 生徒数273名。 |
1928 | 475アレキサンダー街に、日本語学校校舎並びに日系人会館が竣工落成、3月11日落成式。 |
1937 | 3月30日、秩父宮同妃両殿下がご来校。 |
1941年12月太平洋戦争が開戦すると、当時1000名以上もの生徒が通っていた学校は閉校を強いられました。 カナダ政府は、日系カナダ人が所有する私有、商業、共有財産や企業を没収し、全ての日系カナダ人を西海岸東100マイル内に物理的強制収容しました。
1942年7月から1947年8月に亘り、VJLSの施設はカナダ軍によって占領されました。 1947年には、政府は戦時中に蓄積された管理費用を賄うためVJLSの資産と施設の半分を売却しました。 475アレクサンダーストリートに残された建物は1947年から1952年の間、Army and Navy Department Storeに貸し出されました。
1941 | 太平洋戦争勃発により、閉鎖命令を受ける。 閉鎖時の生徒数1010名。校舎を国防相に賃与。 |
1942 | 日系人強制移動・財産の没収。 |
1945 | 6月19日。栗田彰子(卒業生)、盛岡小学校教諭。空襲により殉職。 |
1947 | カナダ政府により校舎の半分を売却される。 |
1947-1952 | アーミー・アンド・ネイビー百貨店に校舎を貸し出す。 1950年の寒波により、温水暖房システムのパイプが凍結し浸水。校舎に多大の被害を受け、アーミー・アンド・ネイビーが退去する。 |
1949 | 移動と移転の自由が日系人に認められる。 |
1952 | 再開のための小委員会発足。6月27日、再開協議会開催。 9月6日維持会臨時総会。 9月20日ジャクソン街旧体育館(現 バンクーバー仏教会)にて授業開始。 |
日系カナダ人にようやく活動と居住の自由が認められた1949年4月、バンクーバーに戻り自らの生活とコミュニティーの再建に取り掛かる人たちがいました。 戦争の打撃や全てを失った期間があったにもかかわらず、日本語教育は子どもたちのアイデンティティーに大きな影響を持ち、その壊されたアイデンティティーと自尊心を取り戻すことは重要なことだと信じる人が沢山いたのです。
学校再開の為に戦ったコミュニティーの人たちの勇敢な努力により、1953年にはVJLSの残された半分の建物を取り戻しました。 しかし没収された日系カナダ人の財産や車、家、企業は以前の所有者に戻されることなく、VJLSが日系カナダ人や企業、組織の中で戦後も所有権を保持する唯一の資産となりました。 戦前からの残っている物理的そしてコミュニティーの繋がりとして、VJLSは日系カナダ人コミュニティーの勇気や不屈の努力、回復力を象徴し続けています。
1953 | バンクーバー市役所により校舎使用の認可。 3月に元の校舎で授業開始。 5月2日学校再開祝賀会。 母子会再開。 |
1956 | 戦後初めてのバザー開催。 |
1961 | 建物の改修が完了。 |
1962 | 再開10週年祝賀会。 |
1965 | 10月3日、三笠宮ご夫妻、本校に来臨。 |
1967 | 創立60週年記念式典。 |
1971 | 会話科(土曜クラス)の第一回入学式挙行 |
1972 | 学校再開20周年。 戦後初の卒業式。 |
1976 | 日本研修旅行。生徒4名。 |
1979 | 助成金により、施設の大規模改修を行う。 母子会25周年。 |
1982 | 戦後再開30周年。 |
1984 | 基礎科授業開始。 生徒数197名。 |
1988 | キンダークラス授業開始。 |
1990 | 生徒会発足。 |
1991 | 理事会により、VJLS2000年計画が承認される。 |
1992 | 2000年計画に対し、Japanese Canadian Redress基金より140万ドル受領。 母子会解散。 母子会奨学金創設。 戦後再開40周年。 |
1994 | 1928年に落成した校舎に隣接する敷地を購入。 |
1995 | 1928年校舎がバンクーバー市歴史的建造物に指定される。 |
1997 | 新校舎地鎮祭。 |
1999 | 新校舎及び日系人ホール完成。 幼児を対象とした「こどもの国」(現こどものくに)開園。 |
VJLS-JHは、カナダの異文化社会の変わりゆくニーズと基盤の発展と象徴を続けてきました。 日本が経済や技術、文化の先駆者として台頭すると、国際語としての日本語の重要性や、多文化、多言語伝達者や民間人の必要性が大いに高まりました。 本校に通う多くが日系カナダ人コミュニティーからの生徒でしたが、現在は12以上もの異なる国々からの生徒が在籍しています。 カナダと日本の国際的レベルでの架け橋、そして日系カナダ人と異文化コミュニティーの架け橋としての私たちの役割は日々強まっています。
私たちは、変わりゆく社会的ニーズに対応した新しくユニークなプログラムを立ち上げ、日本語と文化教育の提供を行なっています。 特に人気のプログラムの一つは、「こどものくに」 での幼児教育です。 こどものくにでは、言語/文化に富んだプログラムを提供し、未就学児童をできる限り早い年齢で第二言語に触れさせます。
異文化教育や文化、コミュニティープログラムの中心として新しい時代と成長するVJLS-JHとしての役割を担おうと、2000年、VJLS-JHは元の1928年建築の建物に隣接して新しく、そして広々とした施設を建設しました。(現在は歴史的建造物として指定されています)
100年にも亘る私たちの教育とコミュニティーの誇り高き伝統を礎に、 VJLS-JHは今後100年も挑戦に立ち向かい、新たな目標達成のため、翼を広げ続けます。
2000 | 6月、新校舎落成式。 |
2004 | 高円宮妃久子さまご来校。 高円宮妃久子さま原作の「氷山ルリ」を巡回劇団が上映。 |
2006 | 百周年祝賀会。 |
2009 | 7月12日、天皇皇后両陛下ご来校。 |
Tuesday – Saturday: 9am – 3pm
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