VJLS-JH'S ARCHIVE

  • Dear Parents, Guardians, and Students, We greatly appreciate your support of our school and for making VJLS-JH your preferred place to learn Japanese and experience community. Many of you have shared why you choose VJLS-JH and what makes it special. These reasons have included: experiencing Japanese culture through our classes and events, the opportunity to […]

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  • 筆者: スティーブ・フロスト、コミュニティ・リレーションズ委員 それは、石鹸から始まりました。COVID-19がすでに脆弱なDTESの住民にとって脅威であることが明らかになったとき、コミュニティを助けている人々が緊急要請をしてきました。頻繁に手を洗うことがCOVID-19に対抗する手段であると知っていたとしても、石鹸がない場合はどうやって手を洗えばいいのか?ということです。 その電話を取ったのは私でしたが、どうすればいいのか途方に暮れました。私がVJLS-JHで学んだことの一つは、コミュニティの回復力です。前例のない脅威に直面しても 、皆で一緒に乗り越えてきたのです。最初のオンラインZoomミーティングで集まった人々は、お互い面識はありつつも一緒に働いた事はなく、コミュニティ擁護のために急遽集まった人々でした。その団体が、DTESレスポンスとなりました。私たちは、事を成し遂げるために集められたのです。 会議が進むにつれ、現場の深刻化する悲惨な状況に対処するには迅速な行動が必要であることが明らかになりました。石鹸についての1本の電話は、この危機が地域社会で最も弱い立場にある人々にさらなる悪影響を与えないよう現地での取り組みを調整し、資金調達の先鋒を担うキャンペーンへと発展しました。それは、あたかもすでに離陸した飛行機を空の上で作りつづけるような作業でした。 混乱の中でしたが、数日中に名前、ロゴ、ウェブサイト、そして集団としての合意に基づいた共同作業の上でマニフェストを作り上げました。住民や地域に汚名を着せずに近隣の状況を伝えるのは大変でした。 日が経つにつれ現場の状況は悪化していきました。従業員を守るために福祉施設は閉鎖されていきました。食料も乏しくなっていきました。ソーシャル・ディスタンシングを遵守するため、SRO(一人部屋のホテル)は訪問者の受け入れを停止。その結果、家がない人々の数は突然33%増となりました。カーネギー・コミュニティ・センターの閉鎖は、快適な避難所が利用できなくなったことを意味したのです。人々は座る場所を確保するためだけにバスに乗るようになりました。その上食べ物が不足し、食べ物をもらうためには混雑した歩道に並ばなければならず、ソーシャル・ディスタンシングは事実上不可能になっていました。 不幸な現実ですが、ソーシャル・ディスタンシングと手洗いができるのは特権であるということです。DTESには15,000人の人々が危険にさらされており、そのうち3,000人が住居がなく、4,700人は民間のSROにてハイリスクにさらされています。幸いなことに、この地域には回復力があります。バンクーバーの多くのコミュニティは、DTESレスポンスに代表された近隣住民のアピールにすぐ反応してくれました。 思いやりのある人々が合計20万ドル以上の寄付をしてくれました。第一線で働く人々にマスクとフェイスシールドが届けられました。緊急支援が必要な第一線で働く20の組織に小口の助成金が手渡されました。そして、人々が手を洗うための石鹸が行き渡りました。手を洗うという単純なことでしたが、私たちの中で最も弱い立場にある人々が直面する日々の障害を思い出させてくれました。 DTES レスポンスチームと一緒に仕事をする中で、VJLS-JHのコミュニティ回復力への理解、そして助けを求める近隣住民への対応を誇りに思い、また、VJLS-JH と関われている事をうれしく思います。私たちの新しいEDダリウス・メイズは、住民へ食事を提供している近隣の非営利団体がデリバリーバンを安全に駐車できるよう、敷地内のガレージを解放していました。とてもシンプルな支援ですが、柔軟なコミュニティの社会構造を表す一例といえると思います。 私たち自身もCOVIDからの金銭的影響を大きく受けているにもかかわらず、私たちの組織ができる限りの支援をしようとするこの意思は、コミュニティの豊かな歴史が受け継がれた証拠です。そしていま、私たちがその意思をついでいく番なのです。 弱い立場にある隣人を支援したいという気持ちのある方は、www.dtesresponse.ca に是非アクセスしてください。

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  • By Steve Frost, Community Relations Committee It started with soap. When it became obvious that COVID-19 was a threat to the already vulnerable residents of the DTES, community advocates sent out an urgent call for help. They knew frequent hand washing was one of the most important ways to combat COVID-19, but how do you […]

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  • なんとまぁ、4月はとても刺激的な月でした!途中、試行錯誤はありましたが今では25クラスをほぼすべてオンライン授業に移行し、毎週さらに改善を加え、さらによい授業ができていると思います。この機会のおかげで互いに交流を深めることができたとの声を生徒から聞けたのは素晴らしいことでした。毎週魅力的な授業を作成している先生方の多大な努力、創意工夫、そして情熱の賜といえるでしょう。 多くの方から、9月には学校を再開できるのか、夏以降の予定はどうなのかという質問が寄せられています。他州では話し合いが始まっているところもありますが、BC州ではまだ、目処はたっておりません。我々としては9月に向けて慎重に計画を立て、万が一物理的に距離を置かなければならない場合にはオンライン授業を提供できるようにするつもりです。最終的な決定は6月末か7月初旬になる予定ですが、今月下旬に登録が開始された際には、来年のコースに申し込んで授業枠を先約することをお勧めします。 このようにVJLS-JH の学校運営サイドでは多くの動きがありますが、コミュニティサイドにおいても、COVID-19 の影響を受けた個人や家族を支援するために、地域社会の新しいパートナーとの機会を模索し始めています。すでに高齢者に食事を提供している非営利団体と提携しております。また、医療用品の保管場所や、食事調理の場所として他団体に提供支援できないかと模索中です。私たちの組織は、いままでもコミュニティが集まれる場を提供して参りました。今、ホールが未使用で放置されているこの時、必要とされる人たちをサポートし、当校のコミュニティ支援のミッションを引き続き遂行したいと願います。もし、COVID-19の影響を受けたグループで、場所を必要としている方をご存知でしたら、ぜひご連絡ください。 土曜の授業日にお顔を合わせる事ができなくなってしまいましたので、executivedirector@vjls-jh.com までぜひご意見をお寄せ下さい。VJLS-JHが、皆様にとっての暖かい居場所であり続けられるよう努力していきたいと思います。  皆様の変わらぬご理解とサポートに感謝すると共に、新たなコミュニケーション方法を模索する、このエキサイティングな旅をご一緒にできることにも感謝します。それでは、ごきげんよう。         ダリウス・メイズ

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  • Foreword:  Surviving the era of destruction Published with permission of Kazuhiko Toyama, author and Bungeishunsha, publisher Business that will survive the era of destruction The ‘Corona Shock’ is here. The novel Corona Virus Pandemic which has spread across the globe, will at least be here for several months, and depending on which scenario we’re looking at, […]

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  • はじめに 破壊の時代を生き残る経営とは Published with permission of Kazuhiko Toyama, author and Bungeishunsha, publisher コロナショックがやって来た。新型コロナウィルスによるパンデミック(世界的大流行)で、少なくとも数カ月、場合によっては年単位で世界経済は生産と消費の両方を大幅に抑制せざるをえない情勢である。もちろん我が国の経済も。まさに破壊的な危機が私たちの生命と経済の両方に対して襲いかかっているのだ。ここでシステムとしての経済が不可逆的なダメージを受けてしまうと、私たちの社会は、パンデミックを克服した後に今度は経済的に大きな産業やビジネスモデルが数年で消滅するような破壊的変化も起きる。 イベント的な危機が発生しているときも、産業アーキテクチャーの転換が進行しているときも、いずれにせよ「破壊の時代」を私たちは生きているのである。 本書は、もともと破壊的イノベーションによる産業アーキテクチャーの転換が続く時代に、日本企業がどのように会社の基本的な形、まさに自らのコーポレートアーキテクチャーを転換し、組織能力の抜本的な転換、変容を図るか、について、それを表す言葉としてコーポレートトランスフォーメーション(CX)をキーワードとして書き始めたものである。実は現実のCXを仕掛けるときに、最初の難関は始動である。部分的にデジタルトランスフォーメーションを(DX)を取り入れて業務改革を行うような話ならともかく、産業や事業が消えてしまうような劇的環境変化に対し、持続的に対応できる企業に進化することは、企業の根源的な組織能力の進化、多様化、高度化が求められる。そこに手をつけることは非常に大きなストレスを伴う、時間のかかる改革の始動になる。組織も人間も習慣の生き物である。何か大きなきっかけ、強烈な体験に遭遇しないと、そう言う本質的な改革を始動するのは難しい。 そこにコロナショックが突然襲来した。危機の経営の第一のメルクマールはなんと言っても生き残りである。同時により良く生き残る、すなわち危機が去った後に誰よりも早く反転攻勢に転じ、CXによる持続的成長を連鎖的に敢行できるように生き残ることである。過去、危機の局面をその後の持続的成長につなぐことに成功した企業は、TA(Turn Around)モードをトリガーにCX(Corporate Transformation)を展開した企業である。 そこで、本書の構成を、破壊的危機の時代を生き残る修羅場の経営術を披露する第一部(TA編)と、破壊的イノベーションの時代を生き抜くためのCX経営を提案する第二部(CX編)の二部構成に急きょ書き改め、かつ出版時期も前倒して緊急出版することとした。 本書は私が著者と言う形を取っているが、最強のマネジメントプロフェッショナルファームを代表して、約20年にわたり「破壊的危機」と「破壊的イノベーション」の時代を戦ってきた約200名のプロフェッショナルたちの経験、方法論、ノウハウを凝縮して公開するものである。 危機はチャンスでもある。昭和の後半の30年間、日本の経済と企業は戦後復興から高度成長を走り抜け、国内的にはバブル経済のピーク、国際的にはジャパン・アズ・ナンバーワンへと駆け上がった。 ところが、次の平成の約30年間は、バブル崩壊と日本経済の長期不振、そして売り上げ成長、収益力、時価総額のあらゆる面で、日本企業の存在感が失われた時代となった。 この間、中国など新興国企業の勃興もあったが、同じ先進国である米国や欧州の企業との差も大きく広がっている。 繁栄の30年、停滞の30年と来れば、日本の経済人の一人としては、次はなんとしても再び繁栄の30年としたいところである。 年号が令和に代わり、まさに新たな30年が始まるタイミングで日本はコロナショックに対峙したのである。この苦難を乗り越え、かつ経済危機で色々なものが壊れる中で、それをきっかけとして、新たな会社のかたち、あり方を創造できるか。より柔構造でしなやかで多様性に富み、新陳代謝力の高い組織体、企業体に大変容、トランスフォーメーションできるか。日本企業は再び、試されている。 本書で紹介する経営的エッセンスを活用してもらい、今度こそ、大中小の規模を問わず多くの日本企業がこの危機を乗り越え、かつその後の抜本的な改革と成長機会を掴み取ることを切望している。

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  • TO MOTHER  (Lydwin & Joyce, Ottawa) For bringing us into this life, For support in times of strife; For showing loving care, For always being there;        For foresight and sacrifice, For sensible advice;                             For fortitude in a new land, […]

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  • Wow, what an interesting and exciting month April was! Although there were a few bumps along the way, we’ve managed to transition nearly all of our 25 in-person classes to an entirely online experience and are making improvements each week. It has been wonderful to hear stories from students who have enjoyed this opportunity to […]

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  • ローラ・サイモト、コミュニティ・リレーションズ・コミッティー 3月中旬にコロナ禍が顕在化してきた頃、普段通りの暮らしをしていた私はニュースを見ているうちにデジャヴを感じました。その後、自分の知っていた日常が終わりを告げました。まず渡航禁止、学校閉鎖、業務停止、自己隔離、そして漠然とした恐れと不透明な空気が立ちこめていきました。それが大変深刻なことで、今までの日常はもう帰ってこないということはショックでしたし、一寸先は闇でした。 この激動の渦に私は飲み込まれていました。感染状況や人命の危機、最前線の医療従事者のこと、高齢者の施設のこと、そしてすべてが山火事のように地球規模で広がっていることなど、一日に何度もニュースを確認していました。 恐怖のエネルギー、通りの静けさ、バンクーバーのダウンタウンやガスタウンの板張りの店はまるでゴーストタウンのよう。そして特にニューヨークのセントラルパークに設置されたその場しのぎのトリアージ病院の映像は、私にある気づきをくれました。こんなことは初めてなのに、なぜデジャヴを感じるのだろう?これは私の両親、その家族、そして日系カナダ人コミュニティ全体が、1941年12月から1942年初頭に第二次世界大戦が勃発した時に感じていたことだったのではないかと。 母方の家族はブリッジリバーと東リルエットに、父方の家族はミント鉱山に抑留されていたことを伝え聞いていた私は、日系カナダ人の歴史教育の推進を提唱し続けていました。その為歴史的事実を知っていたし、自分の家族の写真を含む多くのアーカイヴ写真を見ていましたし、家族やコミュニティメンバーから沢山の話を聞いていました。セントラルパークにあるその場しのぎのトリアージ病院の写真を見て、私はすぐに、抑留先へ送られる前に日系カナダ人が収容された、その場しのぎのベッドがPNEの畜舎に作られたヘイスティングスパークの写真を思い出しました。 パウエル街における戦前の日系カナダ人コミュニティは、パウエル通り沿いに8000人の日系カナダ人が住み400以上の企業が軒を連ねる、驚くほど活気に満ちた市街地でした。 日本語学校および会館には、1000人以上の学生が第二外国語学校として通っていました。 真珠湾攻撃が起こった直後すぐに外出禁止令が出され、企業も新聞社も日本人学校も閉鎖されました。そして、すべての窓に板張りがなされました。一夜にしてストラスコーナ小学校の生徒数は1200人から600人に減少したのです。それは、生徒の半数は日系カナダ人で、学校に行くなと言われたからです。 民族が違うというだけで、罪のない日系カナダ人の家、財産、船、会社などは連邦政府によって没収され、売却されました。一夜にして、日々の暮らしや人生、移動の自由などの権利を失ったのです。 当時は緊急給付金もEI賃金補助金もありませんでした。彼らは物だけでなく生活すべてを失い、先の見えない状態でした。 私たちは今コロナの短期的な影響と長期的な影響の両方に恐怖を感じていますが、公民権が全停止された当時の日系カナダ人のコミュニティにおいては、その恐怖の度合いは桁違いだったに違いありません。 2万2千人の日系カナダ人が1942年から49年までの7年間、国家の安全保障上の脅威であるという理由で海岸の東100マイルにある荒れ果てた農地やゴーストタウンに強制的に移転させられました。 その間移動の自由はなく、収容所には当初仕事も学校もなく、日系カナダ人の子供たちは白人学校に通うことも許されていませんでした。 それなのに、抑留所の写真、特に子供たちの顔を見ると、みんな身なりが整っているのです。子供たちは幸せそうで健康そうなのです。 地域社会の生活は再構築され、各収容所では事実上の自給自足の経済を築いていました。リルエットでは例えばトマト栽培をし、販売を始めたりしていました。学校も建設して児童教育が続けられるようにしました。互いに交流しながら、コミュニティを再構築していったのです。 コロナ禍が始まってからは毎日、私は東リルエット高校卒業式の時の母の美しい写真(上の写真)を見ています。腕のいい裁縫師であった祖母が縫った白いドレスを着たこの写真は、収容所にあったリルエットの小屋の前で撮ったものです。私にとってこの写真は、母が人生について教えてくれたことのすべてです。当時のひどい苦難にもかかわらず、母の家族や地域社会は団結し、子供たちに人生を与えてくれました。 持ち物、技術、健康、勤勉さ、想像力、そして集団的な組織と努力の精神を最大限に活用して乗り切ったのです。 貧しかったにもかかわらず、祖母はシンガー社のペダルミシンを持って収容所に行き、他の地域の人たちのために服を縫ったり、高校を卒業する母のためにこの美しいドレスを作ったりしました。先輩が後輩を教えたり、通信教育で高校の授業を受けたりと、現代の遠隔教育にも通じるような手作りのコミュニティスクールで、母は学年を飛び級して収容所の中で高校を卒業することができました。 学歴格差を抱えてバンクーバーに戻った母は、皆に追いつくために必死に努力し、UBCを卒業して家庭科の教師になりました。 母の日を前にして、東リルエットでの母の卒業写真を見ながら、母と祖母が教えてくれたことへの感謝と畏敬の念を強く感じています。 今、母は80代後半になり、認知症で短期的な記憶力が低下しています。老人ホームにいる母とは、スカイプを使ってチャットをしています。彼女の生命力の強さは、かつて母に言われた言葉を思い起こさせます。 “これを乗り越えることができれば、どんなことでも乗り越えることができる ” お母さん、ありがとう。

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