Author Archives lsaimoto

  • Bike Route of Japanese Canadian Historic Sites START 487 Alexander Street Vancouver Japanese Language School and Japanese Hall: The Vancouver Japanese Language School was founded in 1906 in a newly-constructed wooden building at 439 Alexander Street, right in the heart of Vancouver’s Powell Street neighbourhood. From the early 1880s, Japanese pioneers to Canada began to […]

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  • By Laura Saimoto 雑本ローラ, Community Relations Committee 管理事務所から送られてきた祖父の事件簿(約500ページ)を初めて開いた時、手書きで9609番の文字がありました。 これは何を意味するのでしょう? 9609は祖父の被抑留者番号で、1942年から49年までの日系カナダ人の抑留・強制連行を行った政府機関である管理局によって割り当てられていたのです。抑留された日系カナダ人成人の1万5千件に及ぶ事件簿の中で、祖父、雑本国松に割り当てられたのが、9609番だったのです。 祖父の話は聞いていましたが、会ったことはありません。 祖父母とも私が生まれる前に亡くなっていたからです。 祖父の4隻の引網船や家族の写真、戦前にスティーブストンにあった家や車の写真は見たことがありました。 孫娘が祖父を知りたがるのは当然のことで、祖父が誰なのかもっと知りたいと思いました。 そして、この政府の文書が何を伝えているのだろうと考えました。ページを読み進むにつれ、涙が頬をつたっていきました。組織的に民族を抹殺しようとする政府によくあるように、管理局は自らの正当性を証明するべく、驚くほど綿密で詳細な記録を取っていたのです。 日系カナダ人の抑留と処分は、冷酷な組織的管理の下に行われ、すべてが文書化されていたのです。 読み進めていくと、法的、財政的、行政的な詳細が山のように出てきました。彼の船舶のサイズ、戦争直前に購入した新しいディーゼルエンジンの年数、スティーブストンにおける所有地の数、寝室の数など。点と点を繋げていくうちに、祖父の人となりの明確なイメージが浮かびあがり始めたのです。 私が伝え知っていたのは、祖父は1890年に和歌山県の小さな貧しい漁村で生まれたということでした。 日本海軍の魚雷砲手であった彼の兄が、祖父が16歳の時(1907年)に徴兵制を避けてカナダに移住して、希望の土地にて一財産を築くように勧めたのでした。 小学校6年生までの教育を受けただけで、英語を全く知らなかった彼はスティーブストンに定住し、やがて魚のバイヤーとなり、4隻の引網船を所有し、200人の漁師を契約で雇うまでになりました。彼は個々の漁師の漁獲物を買い取り、まとめて缶詰工場に大量契約で販売していたのでした。やがて祖母と結婚し、10人の子供をもうけました。スティーブストンの一戸建ての家に住み、1939年式の新しいドッジ車を運転していました。彼は故郷からカナダに移住する多くの友人の後ろ盾となっていました。根性があり、ビジネスに精通し、高潔で、家庭的な人でした。 読み進めていくうち、祖父は活動家だったこともわかりました。 活動家といってもいわゆる「アンチ運動」や「パウエルストリート占領」を唱えるプラカードを掲げるタイプとは違います。 路上で暴動を起こしたり、略奪したり、警察署を焼き払ったりしたわけではないですが、それと同じような怒りを感じていたのだろうと想像に難くはありません。 新カナダ人として、彼はカナダの権力構造と民主主義に根ざした制度システムを徹底的に学び、適応していたのです。 彼ストリートスマートだったので、自分自身の価値や自分が築き上げたものの価値をわかっており、信念のために立ち上がりました。 カナダの「システム」がどのように機能しているかについて、彼が持っていた驚くほど詳細で深い知識にそれが現れていました。 彼はシステムを利用して、自分自身のために、公平だと信じていることのために、平和的に立ち上がることができました。 要するに、彼は不正の犠牲者にはならなかったのです。 制度の中で制度を使うことで、彼は勇敢にも制度に挑戦したのでした。 祖父は、自己資産の業務記録を綿密に取っていました。 彼は情報が文書化された時の力を知っていたので、コストや収益だけでなく、買い替え費用のための保険、評価や鑑定書、公証賃貸借契約書による家主のテナントの取り決め、減価償却費記録などを取り揃えていました。 彼は、カナダのビジネス、財務、法的構造を理解していました。 市民権の成り立ちを理解していたのです。 1948年、彼と他の日系カナダ人は、いわゆる「バード・コミッション」と呼ばれる要求でカナダ政府を訴えました。 これは私の祖父、そして日系カナダ人の活動の驚くべき記録です。 彼らは、財産没収や強制売却について政府に直訴したのではなく、自分たちの資産の切り下げと、そのために受け取った報酬の低さに異議を唱えたのでした。私の祖父にとっては、スティーブストンにある家、4艘の船、車、そして最大の資産である大型船、May S号でした。  60フィートの長さの引網船であったMay S号は1942年2月15日にカナダ海軍に没収されました。「日本漁船処分委員会」の名の下、カナダ海軍が小型の日本漁船を検挙するためにMay S号を使用したのです。建設費(添付書類を参照)は合計で$16,825.80で、保険で定められた交換価値は$18,000でした。 保険価値は$11,000になり、譲り受けたカナダ海軍による現在価値は$10,500。そして1942年の政府の評価額は$8,750となり、祖父は$8,057.50ドルの補償を受けとりました。 結果的には、委員会は彼らの評価が実際の価値の10%も過小評価されていたことをしぶしぶ認めました。ですが、ここで重要なのはその割合ではないのです。 これらの日系カナダ人は、自分達と資産の価値を知っており、立ち上がり、結果がどうであれ、自分たちの価値を肯定させたのです。 行政的に悪質な、被害者に貶めようとする動きのなか、彼は被害者にはならなかったのです。胸が張り裂けそうになるほど辛かったはずなのに、彼はあきらめなかったのです。ページの隅々まで加害者のルールを逆手にとってモラルの破綻を暴くことで、彼の尊厳は輝きを放っていました。 祖父は破壊によってではなく、市民権の原則、地域社会のリーダーシップ、人権の尊重、正義、そして起業家精神をもってして行う活動家の道を選んだのです。 事件簿9609番。 それが祖父、雑本国松だったのです。

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  • By Laura Saimoto, Community Relations Committee When I first opened my grandfather’s case file (about 500 pages) from the Office of the Custodian, there was a handwritten number:  9609.  What did this mean?  It dawned on me that 9609 was my grandfather’s Internee number, assigned by the Office of the Custodian, the government authority that […]

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  • 筆者: スティーブ・フロスト、コミュニティ・リレーションズ委員 それは、石鹸から始まりました。COVID-19がすでに脆弱なDTESの住民にとって脅威であることが明らかになったとき、コミュニティを助けている人々が緊急要請をしてきました。頻繁に手を洗うことがCOVID-19に対抗する手段であると知っていたとしても、石鹸がない場合はどうやって手を洗えばいいのか?ということです。 その電話を取ったのは私でしたが、どうすればいいのか途方に暮れました。私がVJLS-JHで学んだことの一つは、コミュニティの回復力です。前例のない脅威に直面しても 、皆で一緒に乗り越えてきたのです。最初のオンラインZoomミーティングで集まった人々は、お互い面識はありつつも一緒に働いた事はなく、コミュニティ擁護のために急遽集まった人々でした。その団体が、DTESレスポンスとなりました。私たちは、事を成し遂げるために集められたのです。 会議が進むにつれ、現場の深刻化する悲惨な状況に対処するには迅速な行動が必要であることが明らかになりました。石鹸についての1本の電話は、この危機が地域社会で最も弱い立場にある人々にさらなる悪影響を与えないよう現地での取り組みを調整し、資金調達の先鋒を担うキャンペーンへと発展しました。それは、あたかもすでに離陸した飛行機を空の上で作りつづけるような作業でした。 混乱の中でしたが、数日中に名前、ロゴ、ウェブサイト、そして集団としての合意に基づいた共同作業の上でマニフェストを作り上げました。住民や地域に汚名を着せずに近隣の状況を伝えるのは大変でした。 日が経つにつれ現場の状況は悪化していきました。従業員を守るために福祉施設は閉鎖されていきました。食料も乏しくなっていきました。ソーシャル・ディスタンシングを遵守するため、SRO(一人部屋のホテル)は訪問者の受け入れを停止。その結果、家がない人々の数は突然33%増となりました。カーネギー・コミュニティ・センターの閉鎖は、快適な避難所が利用できなくなったことを意味したのです。人々は座る場所を確保するためだけにバスに乗るようになりました。その上食べ物が不足し、食べ物をもらうためには混雑した歩道に並ばなければならず、ソーシャル・ディスタンシングは事実上不可能になっていました。 不幸な現実ですが、ソーシャル・ディスタンシングと手洗いができるのは特権であるということです。DTESには15,000人の人々が危険にさらされており、そのうち3,000人が住居がなく、4,700人は民間のSROにてハイリスクにさらされています。幸いなことに、この地域には回復力があります。バンクーバーの多くのコミュニティは、DTESレスポンスに代表された近隣住民のアピールにすぐ反応してくれました。 思いやりのある人々が合計20万ドル以上の寄付をしてくれました。第一線で働く人々にマスクとフェイスシールドが届けられました。緊急支援が必要な第一線で働く20の組織に小口の助成金が手渡されました。そして、人々が手を洗うための石鹸が行き渡りました。手を洗うという単純なことでしたが、私たちの中で最も弱い立場にある人々が直面する日々の障害を思い出させてくれました。 DTES レスポンスチームと一緒に仕事をする中で、VJLS-JHのコミュニティ回復力への理解、そして助けを求める近隣住民への対応を誇りに思い、また、VJLS-JH と関われている事をうれしく思います。私たちの新しいEDダリウス・メイズは、住民へ食事を提供している近隣の非営利団体がデリバリーバンを安全に駐車できるよう、敷地内のガレージを解放していました。とてもシンプルな支援ですが、柔軟なコミュニティの社会構造を表す一例といえると思います。 私たち自身もCOVIDからの金銭的影響を大きく受けているにもかかわらず、私たちの組織ができる限りの支援をしようとするこの意思は、コミュニティの豊かな歴史が受け継がれた証拠です。そしていま、私たちがその意思をついでいく番なのです。 弱い立場にある隣人を支援したいという気持ちのある方は、www.dtesresponse.ca に是非アクセスしてください。

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  • By Steve Frost, Community Relations Committee It started with soap. When it became obvious that COVID-19 was a threat to the already vulnerable residents of the DTES, community advocates sent out an urgent call for help. They knew frequent hand washing was one of the most important ways to combat COVID-19, but how do you […]

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  • なんとまぁ、4月はとても刺激的な月でした!途中、試行錯誤はありましたが今では25クラスをほぼすべてオンライン授業に移行し、毎週さらに改善を加え、さらによい授業ができていると思います。この機会のおかげで互いに交流を深めることができたとの声を生徒から聞けたのは素晴らしいことでした。毎週魅力的な授業を作成している先生方の多大な努力、創意工夫、そして情熱の賜といえるでしょう。 多くの方から、9月には学校を再開できるのか、夏以降の予定はどうなのかという質問が寄せられています。他州では話し合いが始まっているところもありますが、BC州ではまだ、目処はたっておりません。我々としては9月に向けて慎重に計画を立て、万が一物理的に距離を置かなければならない場合にはオンライン授業を提供できるようにするつもりです。最終的な決定は6月末か7月初旬になる予定ですが、今月下旬に登録が開始された際には、来年のコースに申し込んで授業枠を先約することをお勧めします。 このようにVJLS-JH の学校運営サイドでは多くの動きがありますが、コミュニティサイドにおいても、COVID-19 の影響を受けた個人や家族を支援するために、地域社会の新しいパートナーとの機会を模索し始めています。すでに高齢者に食事を提供している非営利団体と提携しております。また、医療用品の保管場所や、食事調理の場所として他団体に提供支援できないかと模索中です。私たちの組織は、いままでもコミュニティが集まれる場を提供して参りました。今、ホールが未使用で放置されているこの時、必要とされる人たちをサポートし、当校のコミュニティ支援のミッションを引き続き遂行したいと願います。もし、COVID-19の影響を受けたグループで、場所を必要としている方をご存知でしたら、ぜひご連絡ください。 土曜の授業日にお顔を合わせる事ができなくなってしまいましたので、executivedirector@vjls-jh.com までぜひご意見をお寄せ下さい。VJLS-JHが、皆様にとっての暖かい居場所であり続けられるよう努力していきたいと思います。  皆様の変わらぬご理解とサポートに感謝すると共に、新たなコミュニケーション方法を模索する、このエキサイティングな旅をご一緒にできることにも感謝します。それでは、ごきげんよう。         ダリウス・メイズ

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  • Foreword:  Surviving the era of destruction Published with permission of Kazuhiko Toyama, author and Bungeishunsha, publisher Business that will survive the era of destruction The ‘Corona Shock’ is here. The novel Corona Virus Pandemic which has spread across the globe, will at least be here for several months, and depending on which scenario we’re looking at, […]

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  • はじめに 破壊の時代を生き残る経営とは Published with permission of Kazuhiko Toyama, author and Bungeishunsha, publisher コロナショックがやって来た。新型コロナウィルスによるパンデミック(世界的大流行)で、少なくとも数カ月、場合によっては年単位で世界経済は生産と消費の両方を大幅に抑制せざるをえない情勢である。もちろん我が国の経済も。まさに破壊的な危機が私たちの生命と経済の両方に対して襲いかかっているのだ。ここでシステムとしての経済が不可逆的なダメージを受けてしまうと、私たちの社会は、パンデミックを克服した後に今度は経済的に大きな産業やビジネスモデルが数年で消滅するような破壊的変化も起きる。 イベント的な危機が発生しているときも、産業アーキテクチャーの転換が進行しているときも、いずれにせよ「破壊の時代」を私たちは生きているのである。 本書は、もともと破壊的イノベーションによる産業アーキテクチャーの転換が続く時代に、日本企業がどのように会社の基本的な形、まさに自らのコーポレートアーキテクチャーを転換し、組織能力の抜本的な転換、変容を図るか、について、それを表す言葉としてコーポレートトランスフォーメーション(CX)をキーワードとして書き始めたものである。実は現実のCXを仕掛けるときに、最初の難関は始動である。部分的にデジタルトランスフォーメーションを(DX)を取り入れて業務改革を行うような話ならともかく、産業や事業が消えてしまうような劇的環境変化に対し、持続的に対応できる企業に進化することは、企業の根源的な組織能力の進化、多様化、高度化が求められる。そこに手をつけることは非常に大きなストレスを伴う、時間のかかる改革の始動になる。組織も人間も習慣の生き物である。何か大きなきっかけ、強烈な体験に遭遇しないと、そう言う本質的な改革を始動するのは難しい。 そこにコロナショックが突然襲来した。危機の経営の第一のメルクマールはなんと言っても生き残りである。同時により良く生き残る、すなわち危機が去った後に誰よりも早く反転攻勢に転じ、CXによる持続的成長を連鎖的に敢行できるように生き残ることである。過去、危機の局面をその後の持続的成長につなぐことに成功した企業は、TA(Turn Around)モードをトリガーにCX(Corporate Transformation)を展開した企業である。 そこで、本書の構成を、破壊的危機の時代を生き残る修羅場の経営術を披露する第一部(TA編)と、破壊的イノベーションの時代を生き抜くためのCX経営を提案する第二部(CX編)の二部構成に急きょ書き改め、かつ出版時期も前倒して緊急出版することとした。 本書は私が著者と言う形を取っているが、最強のマネジメントプロフェッショナルファームを代表して、約20年にわたり「破壊的危機」と「破壊的イノベーション」の時代を戦ってきた約200名のプロフェッショナルたちの経験、方法論、ノウハウを凝縮して公開するものである。 危機はチャンスでもある。昭和の後半の30年間、日本の経済と企業は戦後復興から高度成長を走り抜け、国内的にはバブル経済のピーク、国際的にはジャパン・アズ・ナンバーワンへと駆け上がった。 ところが、次の平成の約30年間は、バブル崩壊と日本経済の長期不振、そして売り上げ成長、収益力、時価総額のあらゆる面で、日本企業の存在感が失われた時代となった。 この間、中国など新興国企業の勃興もあったが、同じ先進国である米国や欧州の企業との差も大きく広がっている。 繁栄の30年、停滞の30年と来れば、日本の経済人の一人としては、次はなんとしても再び繁栄の30年としたいところである。 年号が令和に代わり、まさに新たな30年が始まるタイミングで日本はコロナショックに対峙したのである。この苦難を乗り越え、かつ経済危機で色々なものが壊れる中で、それをきっかけとして、新たな会社のかたち、あり方を創造できるか。より柔構造でしなやかで多様性に富み、新陳代謝力の高い組織体、企業体に大変容、トランスフォーメーションできるか。日本企業は再び、試されている。 本書で紹介する経営的エッセンスを活用してもらい、今度こそ、大中小の規模を問わず多くの日本企業がこの危機を乗り越え、かつその後の抜本的な改革と成長機会を掴み取ることを切望している。

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  • TO MOTHER  (Lydwin & Joyce, Ottawa) For bringing us into this life, For support in times of strife; For showing loving care, For always being there;        For foresight and sacrifice, For sensible advice;                             For fortitude in a new land, […]

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