Yearly Archives: 2020

  • エグゼクティブディレクターのダリウス・メイズが戦前から強制収容所時代にわたりBC州に点在した日系カナダ人ゆかりの地探訪の旅の第一歩として、日系カナダ人の歴史をCTVニュースで紹介いたしますので、ぜひご覧ください。 Destination BCの消費者のための旅行計画サイトexploreBC/hellobcに掲載のローラ・サイモト理事執筆のこの特集記事は、日系カナダ人の歴史をすべてのブリティッシュコロンビア州民と共有するために、Destination BCと歴史的事実が発生した場所、すなわちBC州の沿岸地方からクートネイ地方まで州のあちこちにある日系カナダ人ゆかりの地〔Japanese Canadian Historic Sites〕とのパートナーシップで実現しています。 Destination BCの記事: Japanese Canadian Historic Sites in BC: Journeys of Home | Super, Natural BC〔BC州の日系カナダ人ゆかりの地: ふるさとへの旅 | スーパーナチュラルBC〕。 CBC Round-up article〔要約記事〕 、CTV online article〔オンライン記事〕

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  • 文:Irene Zhang、史跡散歩ツアーリーダー、UBC夏期生 今年の2月、私はバンクーバー日本人学校及び日系人会館で行われたUBC Community Engaged Learning Reading Week Projectにボランティア参加した20人のUBC学生のうちの一人でしかありませんでした。 私たちの多くがそうであるように、日系カナダ人の抑留について知っていたことは、社会科の教科書に載っていたたった一段落だけの知識でした。この出来事はカナダの歴史の重要な転換点であり、人種差別が繁栄していた地域社会にどのような影響を与えたかについての重要な教訓であったにもかかわらず、日系カナダ人の強制送還と抑留についての教科書の記述はつまらないものでした。歴史の本来もつ複雑さに欠けており、人間が経験した物語をしっかりと捉えてはいませんでした。 現在私は夏期講習生として、コミュニティ・プログラミング・コーディネーターとして、史跡ウォーキングツアーの案内をしています。1928年に建てられた日系人会館の入り口の前で、私はツアーの参加者にこう質問します。「もし48時間以内に自分の家と呼んでいた場所を追い出されるとしたら、75パウンド(34kg相当)のスーツケースに何をいれますか?」この質問をされると私たちは、いきなり1942年にタイムスリップし、強制収容に直面した日系カナダ人の身になって考えることができるようになります。彼らが直面した課題を完全に私が理解することができるとは思えませんが、コミュニティとしての彼らの回復力と誠実さには尊敬の念を禁じえません。 それが収容所で卒業式のドレスを縫うことであっても、日系人会館の建物の所有権を維持するために郵便で総会を開くことであっても、危機と不確実性の時代に、日系カナダ人は自分たちの状況に適応し、強くあり続けました。カナダ政府によって被害を受け、疎外されたにもかかわらず、日系人コミュニティは収容所での経験をうけながし、その後政府のしたことは間違っていると主張して、救済と正義のために戦ったのです。社会の主流な意見に立ち向かい、自分のコミュニティが不当な扱いを受けたと主張するのは、信じられないほどの勇気が必要です。 「歴史を学ばない者は歴史を繰り返す運命にある」という諺のとおり、いま私たちはCOVID-19のせいで、昔と似たような危機感と不確実性を体験しています。今日、私たちはCOVID-19によりその頃の危機感と不確実性を経験しており、ブラック・ライヴス・マター運動を通じて正義のための活動がまた行われていることを目の当たりにしています。歴史は繰り返すこともあるのですから、そこから学ぶことが私たちの義務だと思います。これこそが、私がパウエル通り史跡ウォーキングツアーの参加者に持ち帰ってほしい主な教訓です。日本街の古い建物の背景にある物語を伝えるだけのツアーだとしたら、パウエル街の歴史的な場所をネットで調べればいいのですから。 ですがこのツアーの真の価値は、以下を理解することにあのです: バンクーバーの遺産:8千人のコミュニティを地域から追い出すことの影響 -社会問題:組織的な人種差別や差別のもたらす影響 日系人の物語が今日の私たちにとって意味するもの:私たちの特権を認識し、不公平の連鎖を終わらせるために私たちが果たす役割を認識すること。 私はウォーキングツアーを案内するにあたり、多様な参加者に合わせて内容を調整し、メッセージを伝えることに力を入れています。しかし、どのセッションでも変わらず伝えているのはこの質問です。「もし48時間以内に自分の家と呼んでいた場所を追い出されるとしたら、75パウンドのスーツケースに何をいれますか?」家族の家宝からスクーターまで様々な答えが返ってきます。この質問は例外なく、自分にとって何が重要で、何が自分のアイデンティティーを構成しているのかについて考えさせるものになるのです。さらに、ツアーを進めていく中で、パウエル通りに存在していた活気に満ちたコミュニティを、彼ら自身の生活の中にある場所と結びつけて描くことに私は焦点を当てるようにしています。 少なくともこのツアーが終わる頃には、ダウンタウン・イーストサイド近隣地域についての新しく楽しい事実を知ることができるでしょう。そして歴史の教科書では語られていない日系カナダ人の実話や体験を知ることで、現在の社会・政治状況を生き抜くための新たな信念を身につけることができるでしょう。 日系カナダ人は、人生の全てを一つのスーツケースに詰め込むことを余儀なくされました。今こそ、私たちがスーツケースの荷解きをする時です。パウエル街史跡の隠された歴史を紐解くウォーキングツアーにぜひお越しください。

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  • 強制収容所時代の日系カナダ人の財産没収についての事実を究明した全国大学研究調査プロジェクト、Landscapes of Injustice〔正義不在の実態〕プロジェクトが7年の歳月を費やした研究調査の成果としてまとめた本の出版と展示の公開が9月26日から始まります。 名誉あるコミュニティーのパートナーとしてVJLS-JHは、日系文化センター・博物館〔Nikkei National Museum〕並びにロイヤルBC博物館〔Royal BC Museum〕と協力して、調査結果に関する教育を行うためにコミュニティーへの働きかけの支援に貢献しています。BC州の新教育カリキュラムに基づく小学校並びに中学・高校レベルの教師用のリソースのWeb教材の提供をはじめ、収容された人々一人ひとりの1万5千件に上る政府の機密解除文書のデジタルアーカイブの一般公開が近々行われます。

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  • By Irene Zhang, Heritage Programming Coordinator UBC summer student In Feb this year, I was one of 20 UBC students who volunteered for the UBC Community Engaged Learning Reading Week Project at the Vancouver Japanese School and Japanese Hall.  Like many of us, what I knew about the Internment of Japanese Canadians was limited to a single […]

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  • VJLS is proud to present the new Historic Powell Street Walking Tours that are starting this August.

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  • VJLS-JH Board Chair: Debra Saimoto Dear Graduates of 2020, Congratulations on getting here.  With the advent of COVID-19, being able to finish the school year is something to celebrate as it is an accomplishment just to adjust to the new reality.  I want to thank you for hanging in with us to complete the year […]

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  • Bike Route of Japanese Canadian Historic Sites START 487 Alexander Street Vancouver Japanese Language School and Japanese Hall: The Vancouver Japanese Language School was founded in 1906 in a newly-constructed wooden building at 439 Alexander Street, right in the heart of Vancouver’s Powell Street neighbourhood. From the early 1880s, Japanese pioneers to Canada began to […]

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  • By Laura Saimoto 雑本ローラ, Community Relations Committee 管理事務所から送られてきた祖父の事件簿(約500ページ)を初めて開いた時、手書きで9609番の文字がありました。 これは何を意味するのでしょう? 9609は祖父の被抑留者番号で、1942年から49年までの日系カナダ人の抑留・強制連行を行った政府機関である管理局によって割り当てられていたのです。抑留された日系カナダ人成人の1万5千件に及ぶ事件簿の中で、祖父、雑本国松に割り当てられたのが、9609番だったのです。 祖父の話は聞いていましたが、会ったことはありません。 祖父母とも私が生まれる前に亡くなっていたからです。 祖父の4隻の引網船や家族の写真、戦前にスティーブストンにあった家や車の写真は見たことがありました。 孫娘が祖父を知りたがるのは当然のことで、祖父が誰なのかもっと知りたいと思いました。 そして、この政府の文書が何を伝えているのだろうと考えました。ページを読み進むにつれ、涙が頬をつたっていきました。組織的に民族を抹殺しようとする政府によくあるように、管理局は自らの正当性を証明するべく、驚くほど綿密で詳細な記録を取っていたのです。 日系カナダ人の抑留と処分は、冷酷な組織的管理の下に行われ、すべてが文書化されていたのです。 読み進めていくと、法的、財政的、行政的な詳細が山のように出てきました。彼の船舶のサイズ、戦争直前に購入した新しいディーゼルエンジンの年数、スティーブストンにおける所有地の数、寝室の数など。点と点を繋げていくうちに、祖父の人となりの明確なイメージが浮かびあがり始めたのです。 私が伝え知っていたのは、祖父は1890年に和歌山県の小さな貧しい漁村で生まれたということでした。 日本海軍の魚雷砲手であった彼の兄が、祖父が16歳の時(1907年)に徴兵制を避けてカナダに移住して、希望の土地にて一財産を築くように勧めたのでした。 小学校6年生までの教育を受けただけで、英語を全く知らなかった彼はスティーブストンに定住し、やがて魚のバイヤーとなり、4隻の引網船を所有し、200人の漁師を契約で雇うまでになりました。彼は個々の漁師の漁獲物を買い取り、まとめて缶詰工場に大量契約で販売していたのでした。やがて祖母と結婚し、10人の子供をもうけました。スティーブストンの一戸建ての家に住み、1939年式の新しいドッジ車を運転していました。彼は故郷からカナダに移住する多くの友人の後ろ盾となっていました。根性があり、ビジネスに精通し、高潔で、家庭的な人でした。 読み進めていくうち、祖父は活動家だったこともわかりました。 活動家といってもいわゆる「アンチ運動」や「パウエルストリート占領」を唱えるプラカードを掲げるタイプとは違います。 路上で暴動を起こしたり、略奪したり、警察署を焼き払ったりしたわけではないですが、それと同じような怒りを感じていたのだろうと想像に難くはありません。 新カナダ人として、彼はカナダの権力構造と民主主義に根ざした制度システムを徹底的に学び、適応していたのです。 彼ストリートスマートだったので、自分自身の価値や自分が築き上げたものの価値をわかっており、信念のために立ち上がりました。 カナダの「システム」がどのように機能しているかについて、彼が持っていた驚くほど詳細で深い知識にそれが現れていました。 彼はシステムを利用して、自分自身のために、公平だと信じていることのために、平和的に立ち上がることができました。 要するに、彼は不正の犠牲者にはならなかったのです。 制度の中で制度を使うことで、彼は勇敢にも制度に挑戦したのでした。 祖父は、自己資産の業務記録を綿密に取っていました。 彼は情報が文書化された時の力を知っていたので、コストや収益だけでなく、買い替え費用のための保険、評価や鑑定書、公証賃貸借契約書による家主のテナントの取り決め、減価償却費記録などを取り揃えていました。 彼は、カナダのビジネス、財務、法的構造を理解していました。 市民権の成り立ちを理解していたのです。 1948年、彼と他の日系カナダ人は、いわゆる「バード・コミッション」と呼ばれる要求でカナダ政府を訴えました。 これは私の祖父、そして日系カナダ人の活動の驚くべき記録です。 彼らは、財産没収や強制売却について政府に直訴したのではなく、自分たちの資産の切り下げと、そのために受け取った報酬の低さに異議を唱えたのでした。私の祖父にとっては、スティーブストンにある家、4艘の船、車、そして最大の資産である大型船、May S号でした。  60フィートの長さの引網船であったMay S号は1942年2月15日にカナダ海軍に没収されました。「日本漁船処分委員会」の名の下、カナダ海軍が小型の日本漁船を検挙するためにMay S号を使用したのです。建設費(添付書類を参照)は合計で$16,825.80で、保険で定められた交換価値は$18,000でした。 保険価値は$11,000になり、譲り受けたカナダ海軍による現在価値は$10,500。そして1942年の政府の評価額は$8,750となり、祖父は$8,057.50ドルの補償を受けとりました。 結果的には、委員会は彼らの評価が実際の価値の10%も過小評価されていたことをしぶしぶ認めました。ですが、ここで重要なのはその割合ではないのです。 これらの日系カナダ人は、自分達と資産の価値を知っており、立ち上がり、結果がどうであれ、自分たちの価値を肯定させたのです。 行政的に悪質な、被害者に貶めようとする動きのなか、彼は被害者にはならなかったのです。胸が張り裂けそうになるほど辛かったはずなのに、彼はあきらめなかったのです。ページの隅々まで加害者のルールを逆手にとってモラルの破綻を暴くことで、彼の尊厳は輝きを放っていました。 祖父は破壊によってではなく、市民権の原則、地域社会のリーダーシップ、人権の尊重、正義、そして起業家精神をもってして行う活動家の道を選んだのです。 事件簿9609番。 それが祖父、雑本国松だったのです。

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  • By Laura Saimoto, Community Relations Committee When I first opened my grandfather’s case file (about 500 pages) from the Office of the Custodian, there was a handwritten number:  9609.  What did this mean?  It dawned on me that 9609 was my grandfather’s Internee number, assigned by the Office of the Custodian, the government authority that […]

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  • Dear Students, Parents, and Guardians, Your support and feedback over the last two months, as we’ve moved our classes online in response to COVID 19, has been greatly appreciated and we look forward to celebrating your achievements in just a few weeks time.

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