– コミュニティ・インパクト委員会 ローラ雑本 寄稿

『バンクーバー朝日野球チームの必勝「ブレイン・ボール」(頭脳ボール)戦略が日系カナダ人建築と関係があるとしたらそれは何でしょうか?』

UBCの夏期学生Irene・Zhangと私が夏の間に行っていたヒストリック・パウエル通りウォーキングツアーで、この問いに対して答えを出すことは、「ハッ」とさせられる瞬間でした。 日本街・ジャパンタウンの建築の歴史や特徴を説明しながら、「日系カナダ人の建築様式とは何か?」 と自問自答していたところ、ピン!と電球が光ったのです。

まず、「ブレインボール」について説明してみます。 1914年に創設されたバンクーバー朝日野球チームは、パウエル・グラウンド(現オッペンハイマー・パーク)でプレーしていた日系カナダ人の野球チームでした。1930年代に太平洋岸北西部選手権で5年連続優勝を果たした。日系カナダ人と白人社会の人種統合の手段として活躍しました。 アジア人である朝日チームの選手たちは、パワフルな打者、つまり「スラッガー」と呼ばれるフィジカルなゲームをする白人選手たちに比べて背が低く、身体的にハンデがありました。 パワフルな打球で打ち負かすことができなかったので、「アウトシンキング」と「アウトラン」という戦略をとっていました。これは、バッティング、スピード、盗塁(スクイズ)戦略を駆使して勝つ方法です。

このスタイルは「ブラウン・ボール」の反語としての「ブレイン・ボール」と呼ばれるようになりました。弱点を強みにして、基本的には頭脳戦で勝負を有利にするというものです。では、日系カナダ人の建築デザインではどのように「ブレイン・ボール」が表現されているのでしょうか? そもそも、日本街・ジャパンタウンは、中華街が一見して中国的とわかるようには建築的にも文化的にも「日本的」ではないです。パウエル通りを走っていくと、戦前は通り沿いに400以上の企業が軒を連ね、8000人の日系カナダ人が住む活気ある市場村であったとはわからないのです。

第二次世界大戦中の処分と抑留は、もちろん文化的アイデンティティの連続性を断ち切りました。そして中を覗けば、はっきりとした特徴的な事が浮かび上がってきます。戦前における少数派「東洋人」人種の不平等が、この件を理解するための鍵となります。1897年から1901年の間に、約15,000人の日本人移民がBC州に定住し、木材、漁業、農業、小企業で働いていました。日本人移民には選挙権がなく、特定の職業に就くことが制限されていました。

経済的な繁栄とパウエルストリートのような活気あるコミュニティの構築に伴い、特に第一次世界大戦後、制度的な人種差別はより攻撃的なものとなりました。カナダ政府は、1920年代後半までに、日本からの移民を年間400人に、その後は150人に制限しました。また、日系カナダ人には漁業免許の割り当てが強制的に行われました。

強力な支配的白人エリートによる環境の中でもコミュニティは成長し、繁栄し続けました。「不平等のままでいなければならない」というプレッシャーは大きく、と同時に、自分たちの文化的アイデンティティを表現したいという欲求も強くなったのです。 では彼らが建築設計においてそれをどのように表現していたのでしょうか。それは、ある特定のパターンに現れているのです。

日系カナダ人は、支配的なアングロサクソンによるエリート的な価値観をよく理解しており、建物の基本的なデザイン全体の中でこれを目指していました。バンクーバーの新しい国定史跡となった築1928年のジャパニーズ・ホール・ヘリテージ・ビルディングが、そのことを示しています。 担当した建築家は、バンクーバーのトップ建築事務所の一つであるシャープ&トンプソン・アーキテクツでした。そこは、UBCポイントグレイキャンパスとバラードストリートブリッジを設計した設計事務所です。シンプルながらも壮大なアールデコ調のデザイン。 ゴア通りとパウエル通りの角にある壮大なレンガ造りの建物、Tamura BuildingはTownsend and Townsend Architectsが設計しました。 パウエル通りにある舞川デパートは、建築家T.L.カーによる見事なアールデコデザインです。

これらの建物のデザインは、当時の主流であったデザインの形に添っているのですが、よく見ると、日系カナダ人の名前が英語で綴られています。 例えば、タイルモザイクのジャパニーズホールの入り口の上には、「JAPANESE HALL」と英字で印刷されています。日本語のレタリングは選ばれていないのです。屋根の上のレプリカパゴダの田村ビルの上には、’TAMURA’の英字で印刷されているのがわかります。 同様に、舞川百貨店の2階にも「T. MAIKAWA」と英語のおしゃれなアールデコフォントのレタリングで印刷されています。これらはすべてオーナーの名前でした。 オーナーシップを公然と表現しながらも、威圧感のない控えめな表現になっており、よく見ないと気づかないことが多いです。

もう一つのパターンは、文化的なシンボルを自由に、そして控えめに使用していることです。 ジャパニーズ・ホールの場合、2階の西側と東側の窓の上の角をよく見ると、仏教のサンスクリット語で平和の象徴がモザイクタイルでデザインされています。日系カナダ人の初期入植者のほとんどが仏教徒だったので、このシンボルを知っているたのでしょう。 中央の窓の両側にはもみじの葉があり、中央の柱にはハナミズキの花や桜の花のようなものが彫られています。もみじの葉は、日本のもみじかカナダのメープルのどちらかで、どちらにしてもカナダと日本の強力なシンボルです。また、ハナミズキの花や桜の花もまた、カナダと日本の強力な文化のシンボルです。 これらを自由に解釈できるようにしておけば、両文化への忠誠心を示すことができるかもしれません。文化的なアイデンティティを表現するために、いろいろな形で表現が試されていることがわかります。

最後に、日系カナダ人の文化的な声は、シンプルさ、倹約性、実用的な機能性を備えた物理的なデザインに統合されていることを述べておきます。確かに多くの建築デザインには壮大さがありますが、それは空間の機能性、線のシンプルさ、そして文化的な表現の静かさ、派手さではなくその静かさによって和らげられています。これらは私にとって、日系カナダ人の建築が持つ「頭脳戦」の戦略を示すものであり、日系カナダ人コミュニティが制約の中でも様々なレベルで繁栄できた所以だと思っています。次回、日本街・ジャパンタウンを訪れた際には、表層下に日系カナダ人建築のブレイン・ボール戦略を見に来て下さい。