Monthly Archives: June 2020

  • VJLS-JH Board Chair: Debra Saimoto Dear Graduates of 2020, Congratulations on getting here.  With the advent of COVID-19, being able to finish the school year is something to celebrate as it is an accomplishment just to adjust to the new reality.  I want to thank you for hanging in with us to complete the year […]

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  • Bike Route of Japanese Canadian Historic Sites START 487 Alexander Street Vancouver Japanese Language School and Japanese Hall: The Vancouver Japanese Language School was founded in 1906 in a newly-constructed wooden building at 439 Alexander Street, right in the heart of Vancouver’s Powell Street neighbourhood. From the early 1880s, Japanese pioneers to Canada began to […]

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  • By Laura Saimoto 雑本ローラ, Community Relations Committee 管理事務所から送られてきた祖父の事件簿(約500ページ)を初めて開いた時、手書きで9609番の文字がありました。 これは何を意味するのでしょう? 9609は祖父の被抑留者番号で、1942年から49年までの日系カナダ人の抑留・強制連行を行った政府機関である管理局によって割り当てられていたのです。抑留された日系カナダ人成人の1万5千件に及ぶ事件簿の中で、祖父、雑本国松に割り当てられたのが、9609番だったのです。 祖父の話は聞いていましたが、会ったことはありません。 祖父母とも私が生まれる前に亡くなっていたからです。 祖父の4隻の引網船や家族の写真、戦前にスティーブストンにあった家や車の写真は見たことがありました。 孫娘が祖父を知りたがるのは当然のことで、祖父が誰なのかもっと知りたいと思いました。 そして、この政府の文書が何を伝えているのだろうと考えました。ページを読み進むにつれ、涙が頬をつたっていきました。組織的に民族を抹殺しようとする政府によくあるように、管理局は自らの正当性を証明するべく、驚くほど綿密で詳細な記録を取っていたのです。 日系カナダ人の抑留と処分は、冷酷な組織的管理の下に行われ、すべてが文書化されていたのです。 読み進めていくと、法的、財政的、行政的な詳細が山のように出てきました。彼の船舶のサイズ、戦争直前に購入した新しいディーゼルエンジンの年数、スティーブストンにおける所有地の数、寝室の数など。点と点を繋げていくうちに、祖父の人となりの明確なイメージが浮かびあがり始めたのです。 私が伝え知っていたのは、祖父は1890年に和歌山県の小さな貧しい漁村で生まれたということでした。 日本海軍の魚雷砲手であった彼の兄が、祖父が16歳の時(1907年)に徴兵制を避けてカナダに移住して、希望の土地にて一財産を築くように勧めたのでした。 小学校6年生までの教育を受けただけで、英語を全く知らなかった彼はスティーブストンに定住し、やがて魚のバイヤーとなり、4隻の引網船を所有し、200人の漁師を契約で雇うまでになりました。彼は個々の漁師の漁獲物を買い取り、まとめて缶詰工場に大量契約で販売していたのでした。やがて祖母と結婚し、10人の子供をもうけました。スティーブストンの一戸建ての家に住み、1939年式の新しいドッジ車を運転していました。彼は故郷からカナダに移住する多くの友人の後ろ盾となっていました。根性があり、ビジネスに精通し、高潔で、家庭的な人でした。 読み進めていくうち、祖父は活動家だったこともわかりました。 活動家といってもいわゆる「アンチ運動」や「パウエルストリート占領」を唱えるプラカードを掲げるタイプとは違います。 路上で暴動を起こしたり、略奪したり、警察署を焼き払ったりしたわけではないですが、それと同じような怒りを感じていたのだろうと想像に難くはありません。 新カナダ人として、彼はカナダの権力構造と民主主義に根ざした制度システムを徹底的に学び、適応していたのです。 彼ストリートスマートだったので、自分自身の価値や自分が築き上げたものの価値をわかっており、信念のために立ち上がりました。 カナダの「システム」がどのように機能しているかについて、彼が持っていた驚くほど詳細で深い知識にそれが現れていました。 彼はシステムを利用して、自分自身のために、公平だと信じていることのために、平和的に立ち上がることができました。 要するに、彼は不正の犠牲者にはならなかったのです。 制度の中で制度を使うことで、彼は勇敢にも制度に挑戦したのでした。 祖父は、自己資産の業務記録を綿密に取っていました。 彼は情報が文書化された時の力を知っていたので、コストや収益だけでなく、買い替え費用のための保険、評価や鑑定書、公証賃貸借契約書による家主のテナントの取り決め、減価償却費記録などを取り揃えていました。 彼は、カナダのビジネス、財務、法的構造を理解していました。 市民権の成り立ちを理解していたのです。 1948年、彼と他の日系カナダ人は、いわゆる「バード・コミッション」と呼ばれる要求でカナダ政府を訴えました。 これは私の祖父、そして日系カナダ人の活動の驚くべき記録です。 彼らは、財産没収や強制売却について政府に直訴したのではなく、自分たちの資産の切り下げと、そのために受け取った報酬の低さに異議を唱えたのでした。私の祖父にとっては、スティーブストンにある家、4艘の船、車、そして最大の資産である大型船、May S号でした。  60フィートの長さの引網船であったMay S号は1942年2月15日にカナダ海軍に没収されました。「日本漁船処分委員会」の名の下、カナダ海軍が小型の日本漁船を検挙するためにMay S号を使用したのです。建設費(添付書類を参照)は合計で$16,825.80で、保険で定められた交換価値は$18,000でした。 保険価値は$11,000になり、譲り受けたカナダ海軍による現在価値は$10,500。そして1942年の政府の評価額は$8,750となり、祖父は$8,057.50ドルの補償を受けとりました。 結果的には、委員会は彼らの評価が実際の価値の10%も過小評価されていたことをしぶしぶ認めました。ですが、ここで重要なのはその割合ではないのです。 これらの日系カナダ人は、自分達と資産の価値を知っており、立ち上がり、結果がどうであれ、自分たちの価値を肯定させたのです。 行政的に悪質な、被害者に貶めようとする動きのなか、彼は被害者にはならなかったのです。胸が張り裂けそうになるほど辛かったはずなのに、彼はあきらめなかったのです。ページの隅々まで加害者のルールを逆手にとってモラルの破綻を暴くことで、彼の尊厳は輝きを放っていました。 祖父は破壊によってではなく、市民権の原則、地域社会のリーダーシップ、人権の尊重、正義、そして起業家精神をもってして行う活動家の道を選んだのです。 事件簿9609番。 それが祖父、雑本国松だったのです。

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  • By Laura Saimoto, Community Relations Committee When I first opened my grandfather’s case file (about 500 pages) from the Office of the Custodian, there was a handwritten number:  9609.  What did this mean?  It dawned on me that 9609 was my grandfather’s Internee number, assigned by the Office of the Custodian, the government authority that […]

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