雑本ローラ、コミュニティ・リレーションズ委員会

2012年、1928年建立の幼児保育用に建てられたヘリテージビルの修復を完了しました。そして託児所を兼ねたこどものくに認可保育園、幼稚園クラス、幼児クラスが始まりました。8年後にあたる今日において、6歳未満の児童135人が通園しています。

新しい保育施設となった私たちは開く前に他の保育施設を調べ、日本の保育慣行を取り入れ、カナダと日本の良いところをこの美しいヘリテージビルにて融合させました。この建物においてヘリテージであるゆえんのひとつとして特記すべきは、二階にある1928年製のタング&グルーブ(さねはぎ形式)で作られたモミ材の床です。建物を改造した時、リノリウムとカーペットを四層ほど引きはがした下にあったこの床材でした。これを慎重に修復し改装後に活かすことができました。私が子供の頃にしたように、休み時間には手すりを滑り降りて誰が一番に一階につくか競い合ったり、この床の上で走りまわったであろう何千人もの子供たちの姿が目に浮かびます。

バンクーバー市の新国定史跡認定の施設として施設近隣における歴史についてさらに深く勉強しています。その中で、“昔の保育についてどういうことをしのか”についての気づきがありました。シニア世代卒業生へのインタビューから、いくつかの事がわかってきました。近隣にて幼少期を過ごし、小学校が終わると毎日その足で日本語学校へ通っていた。日系カナダ人女性達の多くは、私のおばあちゃんのようにお店の家族経営をしていたり、九人もの兄弟を持つ私のおじいちゃんの家族のように大家族の中での子育てに忙殺されていたということです。

私のおばあちゃんは、メインSt.にて経営するドライ・クリーニング店で腕利きの仕立て屋として働いていました。また、シニア卒業生であるメアリー・川本さんの場合は、パウエルSt.にて貸し部屋ヴィクトリー・ルームズを家族経営しており、両親とメアリーさん、そして弟の家族全員で貸し部屋業を運営し、清掃、調理、フロント業務、石炭での暖房運転、そして会計に至るまですべて分担作業していたといいます。

二つ目の気づきは、幼児保育はその頃クリスチャンの教会により提供されており、使用言語は第二言語の英語だったということです。その頃の子供たちの第一言語は日本語で、家庭では日本語を使っていました。そして第二言語の英語取得の為に、パウエルSt.とジャクソンSt.の角にある統一メソジスト教会幼稚園などへ子供を通わせていました。そのうちでもとりわけ、ユナイテッドおよびカトリック教会系列の幼稚園は、現代風に言えば、英語教育保育機関でした。 

子供たちが就学年齢に達すると、ロード・ストラスコナ小学校のような公立校へ行きました。1941年当時1200人の児童のうち600人が日系カナダ人の子供たちで、そこで正式な英語を学びました。そして放課後は月曜日から金曜日の毎日、日本語学校へ日本語を学びに徒歩通学しました。これは今でいう放課後日本語教育に当たります。2つの語学教育学校へ行った後、子供たちは遊びにでかけたり、夕飯の為に家に徒歩で帰りました。つまり、当時の幼児教育と放課後教育は両方とも語学学習プログラムだったわけです。

現代社会において、幼児保育はかなりモダンな社会的ニーズのように思えます。ですがその昔語学学習プログラムは、働く移民の親たちにとって事実上の育児として役立っていたのです。これは、古いものが名前を変えて新しいものに生まれ変わった今、思考の糧となるのではないでしょうか。